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続・魔術師の一振りから再生と復活へ乾杯の歌

mathichen17

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オナカ痛くて寝てたけど、YouTube眺めたら
「堂々たる後期高齢者がボケもしないでほぼ生涯現役を思えば」
「51歳最終月が寝たきりになって、どないすんねん」

と起き上がった理由:「↓の爺さんども」





2016/2/18(木) 午後 6:51 【願わしき幻影に寄せる歌】

この顔で幼少のみぎりには、ウィーン少年合唱団員なんて笑わせると来るじゃなくて

親独・親ナチ主義者として活動、大戦後もチトーに反対し続ける態度を取ったため、投獄され死刑を宣告される。その死刑当日に収容所所長にピアノを弾くことを命令され、それを聴いた所長が「芸術家を死刑にするのは忍びない」と処刑だけは免れた(ちなみに、マタチッチ夫人はこの所長の愛娘であるが、他に3人いたと言われている)

( Wikipedia:ロヴロ・フォン・マタチッチより引用 )

オンナどもが「ワタシの旦那よ( ‘ ^‘c彡☆))Д´)」の話が聞かれた
奥さんいなけりゃ、靴の紐結べなかったほど不器用
上げ膳据え膳して貰えるのは、可愛げあるオトコでないと無理を意味しといて
N響演奏会で自分の作曲した作品を指揮するまではヨカッタ
泳ぐフリだか、踊るフリだか、正確な事は忘れた
自分の書いた変拍子が振れず、楽団員から「マタさん、適当に振り付けして下さい~」、トホホ過ぎる…




動画コメントと大賢者様記載の『日本における活動』を追加すると

第8回(1975年11月-12月)
ブルックナーの第8、「シンフォニエッタ」の再演、ワーグナー・アーベント、「第九」などを指揮した。この後、病気の影響などもあり、1984年まで訪日が途絶えた。

第9回(1984年3月)
最後の訪日。ブルックナーの第8(第925回定期)、自作の「対決の交響曲」とベートーヴェンの交響曲第2番(第926回定期)、ブラームスの交響曲第1番とベートーヴェンの交響曲第7番(第927回定期)を指揮した。指揮台は歩行困難のマタチッチに気遣って低くされ、リハーサル・公演を重ねるごとに疲れがたまったためか、最後の927回定期ではコンサートマスター徳永二男の助けを借りながらの登壇であった。なお、このシーズンでは1983年12月にギュンター・ヴァントが同じくブルックナーの第8を振っている。ちなみに、ヴァントがハース版を使い、マタチッチがノヴァーク版を使った。
マタチッチ氏、名指揮者でしたね。N響との相性も良い
この時のことを覚えてます。覚束ない足取りで、あれで指揮台にたどり着けるのかな?と心配になるほどの状態。3楽章終わりまでたどり着きましたがもう、余力は残ってないのでは?と心配したものです。ところがそこからギ・ギ・ギと身を起こし、眼光炯々、気迫をみなぎらせた姿が今も、脳裏に焼き付いています。 今聞いてもこれ、すごい。やはりあの記憶は間違いではなかった。
今のN響とは音が全然違ってよく鳴ってる。ドイツ系指揮者の薫陶を受けていたこの時期のほうが好きです。
関山先生が禿げてない‼‼
頭部にも人の成長と歴史アリという方向でほっといたれよ

「ギ・ギ・ギと身を起こし、眼光炯々、気迫をみなぎらせた姿」
映画‘リング’の、TVから這い出て来る貞子みたいな場面ね
全曲のVHS持ってるから確認しよっとメモして




身体的にはボケボケながらも、これで、思い出したのが↓



備考

・作曲家の芥川也寸志は、小学校6年の時、この映画を6回観た。
芥川さん、小学1年生から毎年1回ずつ鑑賞は、親父の羅生門ならぬ鬼門で無理だった?

・指揮者岩城宏之は、高校2年の時この作品を観て感動したことから音楽家を志すようになったという。ただし、1979年頃にテレビで本作品を再び観た時は「実に、なんともやりきれないくらいの、ひどい映画」「ストコフスキーさんのPR用のキワモノ映画」「ぼくの耳が幼すぎたのだ」と失望の念を吐露している。
「岩城さん、世界を魅了するだけの実績と顔お持ちだった?」(草葉の陰に眠るストコフスキー)

・音楽評論家の志鳥栄八郎は、旧制中学の頃、乏しい小遣いをやりくりしてこの映画を何度も観た。同級の大滝秀治もこの映画に影響された一人であり、ピアノが弾けないにもかかわらず学校の音楽室で「これからリストの『ハンガリー狂詩曲』を弾く」と宣言し、志鳥の前で出鱈目にピアノの鍵盤を叩いてみせたことがある。
志鳥さん、観過ぎて、お目を悪くされたんじゃなかろうね

・黒柳徹子が生まれて初めて観たのはこの映画であった。黒柳家は「子供には子供用の映画しか観せない」という教育方針だったが、父がヴァイオリニストだったため、この映画は特別に観ることを許された。淀川長治は黒柳に「あなたはいい映画をご覧になりましたね」と言っている。
淀川さん、夢が叶うかは別に、子供に夢を持たせるのは大事ですよね

( Wikipedia:オーケストラの少女より引用 )

2013/1/3(木) 午後 3:51 【魔術師の一振りから再生と復活へ乾杯の歌】

1937年だと、まだ1929年世界大恐慌の名残りあったの?
楽天的な娘はとにかく、親父と大勢のビンボー楽士をちゃんとしたオーケストラで演奏させたい一心
…人生約半世紀ともなると、たまにゃアメリカ楽天主義に泣かんと、冬場でなくたってお肌カサカサするわ…

目をつけられた指揮者レオポルド・ストコフスキーは男前
フィラデルフィアの音楽学校で教えるコレは☆という女生徒にちょっかい出しまくっていたとか
90歳過ぎても指揮台に這うようにして上った執念深さだけに、若い時の美女狩りはさぞかし~
1965年来日時、同行した息子とツンツンし合ってたのは、かつての家庭不和の名残り?




日本語も昔は、ペルシャ語やアラビア語のように、右から左ヘなんだよねと、映画ポスターの説明して




「90歳過ぎても指揮台に這うようにして上った執念深さ」
それを感じ取った録音が↓



レコ-ドプレーヤーが壊れ、CDを買ったが、LPもまだ持ってる
1882年生まれ爺さんが、93歳を迎えた1975年に録音された
20世紀に於ける個性的な指揮者の一人で、『音の魔術師』の異名を持つストコフスキー
生真面目なマーラー好きにゃ肌が合わないかも
演奏自体は意外とケレン味の無いものですがね
何が感動するかって
特養でフラフラ徘徊してそうな風体の爺さんだっちゅうのに、♪復活を指揮出来るいう点ですわ
作曲家が28~34歳の、つまり、感性まだまだ若く豊かな壮年期の作品である
その年代であったって、ボンクラの手に掛かれば、妙に達観ぶった、優等生的演奏するものを
作曲家より干支5回りしてるような身体ボケボケが、いざ指揮台に上れば、青年の如きみずみずしさをなど
自分自身に若さ保てる魔術を施してるんかいとオモタくらいだった




リズム重視の曲想を持つベートーヴェン交響曲第7番をイキイキ振れる85歳マタさんといい
神経集中させる手先と指先が商売道具だと、認知症予防になるのかシラネ




51歳最終月のアタシゃ、食欲だけなら15歳中坊級
認知症より先に飢え死にの予防として、近所まで徘徊して来るわ

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