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自意識より高い障壁をもヒラリ越える能力持てばこそ~フィオレンツァ・コッソット讃歌~

mathichen17

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大晦日記事で、2019年糞フェミへの悪態納めしたね




糞フェミについて、アタシゃ、無駄に意識高い系の無能、少なくとも凡才と見做している
自分を愛するのはいい
「日々頑張っている素敵なアテクシ」、自己陶酔的、利己的なのが、F●ckYouなの
頑張るのは当たり前の話であって、特別に賞賛される筋合いのものじゃない




利己的な者の見分け方として、婦女子には↓が適切かね




【はいからバンカラ酒乱同志が通る】
ラリサ
ミハイロフ侯爵の妻で、ロシア革命を逃れて日本に亡命してきた。重大な秘密を隠しており、夫に近づく紅緒を快く思わない。その体は結核に蝕まれており、余命幾ばくもない。
物語を大団円に導くキーパーソンであるが、紅緒の恋敵という立場上、読者の憎まれ役で、作者自ら「あの人のことを悪く言うのはやめましょう」と紙面で呼びかけるほどであった。
ラリサさんは確かに、記憶喪失となっている少尉を利用したし、紅緒視点に立つと身勝手だよ
けど、ラリサさんは紅緒に、貴女には長い未来があるからとすがる格好で少尉を諦めてくれと頼んだよね
少尉と紅緒に犠牲を強いている罪悪感を抱き続けていたからこそ、どうせ先行き短い身と命を投げ出してくれた
ギャルどもに大人気の幼馴染みサーシャを柱の陰からタイプの奥床しい少女
彼女選び放題の男から選んで貰えるだけの別嬪さんなんだよ
紅緒も理解したので、最後に、「あの人がいたから、私たちの今の幸福がある」(あの人の犠牲に感謝せねば)




…根は古風というか、自分の想いに忠実故に、少尉亡き世間知らずの伯爵家を救おうとした紅緒の言葉だよ
ラリサさんの勇気と合わせ、亭主まだ生きてるのに姻族関係終了届欲しいと平気で口にする現代小娘に真似出来るのかよw




婦女子の権利ガーガーで頭イタタタの一つに
「婦女子の権利が認められているから、婦女子の誰しもが利用していいと決まっていないがわかってねー」
外でバリバリ向きに専業主婦を強制出来ないなら、逆も然りで、適材適所に配置が不要に負担感じず生きられる
無能や畑違いは何処まで行っても、無能や畑違いに留まるを弁えよ
不適切な者のガーガーが五月蠅いのであって、適切な者の自分ガーはケースバイケースだ




適切な者の自分ガー、これで許せるのが

フィオレンツァ・コッソット

イタリアのメゾ・ソプラノ、フィオレンツァ・コッソットよ




1994年11月9日、大阪シンフォニーホールでのリサイタル
ソプラノの関定子女史はBプログラムに登場で、アタシの聴いたAプログラムには旦那のバス歌手イーヴォ・ヴィンコが登場したか?
画像見ての通り、ヴィンコのサインは貰っているので、ヴィンコもホールにはいた
ヴィンコは、嫁がサイン中、伴奏ピアニストと雑談するも
嫁がサインしながら「イーヴォ、どーたらこーたら」の瞬間、サッと嫁の横に立ち女王様のお伺いを立てる芸当をw
ヴィンコ自身立派な経歴持つけど、「ウチの旦那もお願いよぉ」でどんだけ仕事入ったやら~
とにかく気の強い嫁であった(結婚40年以上後に離婚したらしい)




気の強い上に、立派なアテクシを見てミテの目立ちたがり屋とも考える
メゾだから、ロッシーニの諸役、ビゼーのカルメン、ドニゼッティのラ・ファヴォリータなどを除き
基本セコンダドンナ、題名役や女性主人公を歌うプリマドンナの陰に隠れる役回りである
声域は自分で選べないとあって、自分ガーのメゾやアルトはさぞかしストレス溜まるだろ


1971年第6回NHKイタリア歌劇団上演のラ・ファヴォリータより
動画終了後が実は笑える
歌唱は素晴らしいものの、お人好しの日本人聴衆が拍手喝采に盛り上がり過ぎた結果
最初は澄ました顔の口元が徐々に緩み、「ニッポンの皆様芸術わかってるわね~」とばかりの喜色満面に変わるんだもん
題名役の舞台で、お邪魔虫無しで、熱狂の渦にって、サイコーに決まってるじゃん
題名役を歌った「マリア・カラスの再来」エレナ・スリオティスが不調であり(咳き込む場面ある)
結果、セコンダドンナが張り切ったの何のって
コッソットにとって、ノルマ、アダルジーザと言えば、演出家フランコ・ゼッフィレッリを激怒させた作品を忘れたのか
マリア・カラスが1965年パリ・オペラ座にて、ノルマ歌い納めさせられた
その数年前からガタ来ていて不調多かったとはいえ、コッソットが引導渡したような格好よ
まだ30歳と上昇気流に乗る若い歌手にすりゃ、落ち目の歌姫を見たら悪魔の囁きに負けるでしょ
カラスと対照的なイキの良い歌唱を聴かせ、衆目を集めた
んで、カラスが気の毒になったゼッフィレッリが「もう二度とコッソット使わん!」とブチ切れたという
冷静に考えてみれば、それなり性格が知られているコッソットを敢えて起用する方も悪いと思うガー
顰蹙買うくらい、コッソットの「ワタシが主役よ~」はよくわかるよね




上の画像に、モンセラート・カバリエの姿が見えるね
1996年5月14日に行われた旧大阪フェスティバルホールでのリサイタルプログラムだ
このおよそ20年前、カバリェは第8回NHKイタリア歌劇団の舞台で、コッソットと共演している
セコンダがアリアでこんだけ盛り上がれるのだから、プリマと火花散らす場面は壮絶であった
惜しいと思う点:「その3年前がもっと、BBA対決を観たかった」
1973年第7回NHKイタリア歌劇団で上演されたヴェルディのアイーダ
これの題名役をカバリェが歌うはずが病気でか降板し、地味な歌手が登場した
またまたワタシが主役よとばかりのコッソットの奮起ぶりは説明までもあるまい


拍手喝采ともかく、そこカーテンコ-ルやる場面ちゃうでと腰砕けたわ
当時「この舞台は『アイーダ』じゃなく、『アムネリス』だ」と評した人に、ちょいと山田君、座布団希望枚持って来てw




1973年アイーダ、出来れば、やっぱ、カバリェとコッソットの競演で観たかった理由:「アムネリス」




【音楽の神々、凱旋の場が幻と消え】
1989年12月、アサヒビール創業100周年記念企画
アレーナ・ディ・ヴェローナアイーダ東京公演」
国立代々木競技場第一体育館
この時、アイーダ、ラダメス、アムネリスの主役3名に、音楽の友誌が持ち役に関するインタヴューを行った
コッソットのアムネリス観が記憶に残っている
1行に纏めると、「まだ18歳くらいの女の子で、好きな男性に振り向いて貰えず、父親も信用出来なくなるのよ」
40年余り前、ハンブルグ国立歌劇場か、自ら黒塗り施すアムネリスが登場した
「自分もアイーダのような容姿を持てば、ラダメスが振り向いてくれる」が、演出家の意図であった
その意図には疑問符だらけながらも、アムネリスがそれだけ演出家の食指を動かすほど「抽斗」多い役と言える




アイーダ全4幕のうち前半だけ観ると、アムネリスってナッマイキ~な小娘である
エチオピア王女と知らぬとはいえ、自分の奴隷娘であるアイーダを見下し切っているが故に
自分の愛するラダメスと相思相愛のアイーダに誇りを傷つけられたと憎み、カマを掛け自白させたりする
エジプトがエチオピアに戦勝の祝い品として、軍を勝利に導いたラダメスに娘をと国王が伝えたら、アムネリスはもう有頂天だ
「相思相愛なんて言っても、奴隷娘如きが王女に勝てる道理無いわ、ホッホッホッ」




しかし後半、アイーダとラダメスの逢瀬を見て怒り心頭になるも、ラダメスが反逆者として捕縛されると、アムネリスもガラリ変わる
傲岸さが消え、自分と結婚すれば助かるからとラダメスに哀願したり、大人たちにラダメスの命乞いしたりする
全てが無に帰した後は、ラダメスの冥福を祈る所で舞台の幕が下りる




…アムネリスが、女優として難役とわかるでしょ
コッソットが熱測りたいくらい自分ガーとして、自信に見合う才能と実力と成果が異議申し立てを封じ込められよう
「歌う女優」が問答無用のプリマドンナにどう対抗するか興味湧く、それが、カバリェとコッソットの競演で観たかった理由よ

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