fc2ブログ

Welcome to my blog

「また逢う日まで」の祈り~さよなら子供たち~

mathichen17

mathichen17

映画を恋愛物・家族物・戦争物etc.と分類し一括りにしたって
恋愛物だと、王子と姫のメデタシメデタシもあれば、ロミオとジュリエットの悲恋もある
深刻な題材を取り上げた2本のうち、片方はアハハハ♪笑い飛ばす勢いが見られたりもする
(具体例:『そして父になる』に対する『人生は長く静かな河』)




現在の誰も生きちゃいない百年戦争といった何百年も前の戦争でなく、近代の戦争を扱う映画
これは、情に流されない客観的な思考力が良くも悪くも肩入れし過ぎない制御棒となる
ジョン・ミリアスみたいな脳筋監督はNGでしょね
(虚弱体質だかでベトナム従軍出来なかった事が超悔しかったらしい
ソ連に占領された町を救うべく、トム・クルーズ他の高校生どもが戦う
邦題:『若き勇者たち』、原題:Red Down=赤よクタバレ
…んなもん、脳筋以外に?w)




例えば、クリント・イーストウッドとスティーヴン・スピルバーグ




イーストウッド爺は、自分一人で『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』を撮った
当初、硫黄島は日本人監督を起用する方向であったが
資料を集める際に、日本軍兵士もアメリカ軍兵士と変わらない事がわかったというのがその理由である
終戦時15歳と、前線は知らないが日本やドイツは悪魔な敵国だったアメリカンボーイにとって
複眼思考能力持っていないと、星条旗と硫黄島の両方は無論、星条旗単独すら骨が折れるぞなもし
星条旗は、他者視点で考察する余地無い「内なる悪」みたいな作品でしょ




戦後に生まれ育ったスピルバーグの場合、ご先祖様のユダヤ人迫害となるけど
『シンドラーのリスト』、あれ、シンドラー未亡人から
「ウチの宿六ってさ、カネ金かね男で、善人なんかじゃなかったわよ」
美化し過ぎ~と遺族に珍しい苦情が入った
メンゲレ博士の双子実験から生還した女性によれば、That's ハリウッドな場面を除いて納得行くという
赤い服の少女以外は白黒撮影の理由として、観客が過去の出来事を客観的に見るといった意味合いだから
シンドラーの人柄どうあれ、人助けした事実に変わりないと評価したのでは?
片手落ち見られようと、被害者様意識に流され過ぎてはいないと考える
(アラブへの復讐劇『ミュンヘン』には異論あるものの、触れると脱線したままになるので置いとく)
特権階級に忖度して化けの皮剥がれつつある元・探偵!ナイトスクープ放送作家には不可能な世界ね
(わかる者にはお里バレバレの数、現在どんだけ増えた?頭が永遠にゼロ地帯しとけや!)




老若男女、所属階級などから逸脱せず、それぞれの立ち位置から真摯に戦争を語るはアリを言いたいまで




大西洋を渡って、フランスに飛ぶと

さよなら子供たち(パンフレット)

さよなら子供たち

さよなら子供たち Au revoir les enfants(1987年)

一九四四年、ナチス占領時代のフランス。パリから離れカトリックの寄宿学校で疎開している12歳のジュリアン・カンタン(ガスパール・マネッス)は、クリスマス休暇を終え駅で母(フランシーヌ・ラセット)との別れを惜しんだ後学校に戻り、そこで同級に入った転入生ジャン・ボネ(ラファエル・フェジト)と出会う。しかしジュリアンには彼の打ち解けない様子が気にかかる。というのもジャンの父は捕虜、そして母は非占領地域で3ヵ月もの間、音信不通が続いていたからである。やがて二人は、森での宝探しのハプニングで連帯感を増してゆくが、時にジュリアンのユダヤ人をからかう言動に喧嘩になってしまうこともあった。父母参観の日、ジュリアンは母や兄との食事の席にジャンを招待する。彼はユダヤ人に偏見はない、と語るジュリアンの母に好感を抱く。しかし、次第に親愛の情を深めてゆくジュリアンとジャンの幸せな日々もそう長くは続かなかった。ある日、闇屋との件がばれ学校から解雇された料理番のジョセフ(フランソワ・ネグレ)のゲシュタポへの密告により、ジャンを含む三人のユダヤ人生徒がミュラー(ペーター・フィッツ)率いる一団によって発見されたのである。学校は閉鎖され、少年たちを匿った罪で逮捕されてゆく校長のジャン神父(フィリップ・モリエ・ジェヌー)に生徒たちは口々に言葉をかける。「神父さん、さよなら」振り返ったジャン神父が応える。「さよなら子供たち、また会おう」。しかしジュリアンたちは二度と彼らの姿を目にすることはなかった。三人の少年はアウシュビッツで、ジャン神父はマウトハウゼンで死んでしまった。それから40年以上の月日が流れた。しかしジュリアンの心には、今もあの朝の出来事が息づいている。そしてそれは、生涯忘れることはないであろう。





悪人は登場しない
強いて悪人を挙げれば、料理番のジョセフだ
ジョセフは
『ルシアンの青春』(1974年)の主人公に通じる
無教養な忠義無双が、マイナスに働くと鉤十字に手揉みして安泰を図り、プラスに働くと反独する
プラスマイナスいずれにせよ現代日本基準に当てはめると、中卒DQN底辺乙カレと嗤われる類ね
(ちなみに、ルシアンを演じたピエール・ブレーズは木こり?から起用され、自動車事故で早世したはず)




このジョセフ以外、欠点はあれど善意の人物ばかりである
ユダヤ人への偏見なんて無いわよ~と言うジュリアンの母は無知なだけで、確かに善人だ
教会で聖体のパンを自分にもくれと黙って迫るジャンに、神父が躊躇するけど
異教徒への戸惑いであって悪意は感じない
入浴の日、ユダヤ教徒男子に見られる割礼がバレないよう、他の生徒たちと上手くシャワーを分けるなど
神父たちはむしろユダヤ少年たちを必死で匿っていた




全体的には、戦時下に於ける一般市民の姿が描かれていたと記憶する
何かと不便を強いられているものの、密告や逮捕の危険と無縁な人々って何処の国にも一定数いる
ダッハウ、ブーヘンヴァルトといった悪名高いドイツ強制収容所近隣市民にさえ
連合国には通じなかったが、ホロコ-ストについて本当に知らなかった者は存在した
被占領国の非戦闘地域みたいな場所の住民なんて、戦争の恐怖感じながらも基本は平凡な日常生活でしょ
戦後40年ほど経った頃、フランスのシナゴーグ(ユダヤ教会)への襲撃に対し、抗議デモが起きた際
少なくない数のジジババが参加した背景に、「戦時中の記憶」が見え隠れしたのは
意識するにせよしないにせよ、ユダヤ人迫害を許したという負い目そして贖罪と推察されるのね
頬被りしてしまえば、自分もナチスと同罪を認識したというか
さよなら子供たちが基本、善意の集まりだけに
ゲシュタポが教室に入って来て「ジャン・ボネは?」に、つい目線でジャンの姿を追うジュリアンが哀しい
ジュリアンもまた、生涯、贖罪の念を抱くに違いない




さよなら子供たちは、ブルジョワ家庭に生まれたルイ・マル監督の自伝的要素強い作品である
ジュリアンが監督自身で、ジャンに相当する少年も実在した
映画に選ばれた二人の少年、ガスパール・マネッスとラファエル・フェジトは共に12歳
面識は無かったが同じリセに通っていて、ラファエルは著書持つなどユダヤ系に多い早熟の天才であった




ジャンの家族はジャンの姉だけが生き残ったが
その姉が巡礼の地として、撮影現場を訪れ、撮影を眺めた感想として
「彼は上手いわ、でも弟と全然似ていない
弟の目は青かったのよ」
ルイ・マルの納得行くジュリアンと釣り合い取れればの配役だったのか




それにしても、神父たちと生徒たちの双方、Au revoirを言える心境って?
状況的に、Adieuである
英語だと、Au revoirはGoodbye、AdieuはFarewellに相当する
終礼の挨拶、今生の別れ、それだけの差よ
何故Au revoirなのか、映画館で観た1988年以来悩んでいる

スポンサーサイト



Comments 0

There are no comments yet.