戦争を知らないコドモたち
【W杯】本田、落ち着いたプレーで歴史的ゴール「しっかり準備した結果」
2010.6.15 01:12
本田は落ち着いていた。前半39分、松井の右クロスをゴール前の遠いサイドで受けると、左足で冷静にけり込んだ。
「しっかり準備した結果、いいチャンスで決めることができてよかった。最近勝利がなかったが、くさらずに前向きにきょうに向けてやっていこうという気持ちがあった」。マン・オブ・ザ・マッチにも選ばれた日本を勝利へ導いたヒーローは、こう言って胸を張った
岡田監督には「点を決めろ」と言われて送り出されたという。初めて経験するW杯の初戦で与えられたポジションは不慣れな1トップ。昨年代表15得点の岡崎をも押しのけての起用は、指揮官の厚い信頼を物語る。それもチーム戦術を忠実にこなすのではなく、「自分の良さを出すことが第一」と言い続け、結果を出してつかんだところに価値がある。
初の海外移籍先となったオランダで貪欲(どんよく)に得点を狙うプレーを磨き、今年移籍したCSKAモスクワ(ロシア)では日本人で初めて欧州チャンピオンズリーグ(CL)準々決勝のピッチに立った。公言する目標は「レアル・マドリード(スペイン)で10番をつけること」。試合中には欧州CL準々決勝で戦ったインテル・ミラノ(イタリア)所属のカメルーン主将、エトーと接触プレー後に抱き合い、「日本の顔」を世界に印象づけた。
13日は24歳の誕生日だった。「きのう誕生日だったので、何か持っているな、と思った」と白い歯を見せた本田は、オランダ戦に向けて「きょうの勝利で、より一致団結してもっていける」。日本に自国開催以外での初勝利をもたらす歴史的な一撃を決めた男の目は、早くも次戦へと向いていた。(奥村信哉)
( 出典先:MSN産経ニュース )
(つづきです)
当時のミュージシャンの多くが反戦をテーマにし、ボタン1つで人類全滅という現実はどこにいても逃げ場がない、サイケデリックという戦争を行うものを狂ってるという風刺、あるいは逃げ場のない自分達の極彩色世界への逃避とか、あの頃は今では考えられないほど自分たちが滅亡へ向かうような悲観的な空気が漂ってたと記憶しております。今から見ればただバカみたいな事をやってただけなんですけどね。
ほな!
2010/6/15(火) 午前 11:17 [ weed_ah ]
>>じー様(その1)
お越しやす~
一番嫌いな歌はこれでなく、♪いちご白書をもう一度なんですわ
'60年代リアル経験ではないものの近い世代のおっさんと意見一致
その根拠…
「警官隊に暴力振るわれても血まみれで立ち向かったコロンビア大学の学生と、
お題目立派でも、警官隊の前進ごとに後退した日本の学生」
映画‘いちご白書’は実話を元にしてますよね
後退する映像を観た時は、「ガチで改革願うならド突かれても前進せいっ」
>>じー様(その2)
'60年代リアルに言わせれば、「何が抵抗させたのかの違い」
「欧米の若者には、旧弊な宗教的倫理と、いつ徴兵されるかの恐怖がある
日本では、本での唯物論的発想から始まる、首枷がない所からが多かった」
「従って、理想が消え現実に戻らされた時、帰る場所が違う
信仰やそれに基づく堅実な家庭生活を改善し充実させるか、見過ぎ世過ぎに向かうか」
「その差が、彼らから生まれた世代以降にも影響を及ぼしていると思う」
…世代差、個人差問わず、百人十色とは思いますが
甘ちゃんでなくてもデラシネに近い部分が♪戦争を知らない子供たちに感じるんですわ
地道に活動してる若者も大勢いたわけですし、
学生運動そのものがダメだったとは見てませんけど
考え方は人それぞれです。
でも信仰やそれに基づく堅実な家庭生活とやらだけで済むならだれも惑うことはないでしょう。
しかし立派な信仰がありながら、それがなにゆえ他国への侵攻という別の漢字に置き換わるのか。
キリスト教世界は今まであまりに人を殺しすぎる。
結局全部が資源や物産など欲の為の殺人。
やるなら自分たちの世界だけでやればいいのです。
なにゆえトップの人間がボタンを押す気まぐれで無関係の日本に住む自分たちまで死ななければいけないのか?
自分の命がはるか離れた他国の他人に握られてる恐怖。
他国に迷惑をかけない分デラシネの方がよほど良いと考えますよ。
2010/6/15(火) 午後 2:16 [ weed_ah ]
「戦争を知らない子供たち」、よーかいも以前は学生運動シンパの曲みたいで、なんか軽い歌だなぁ…と思っていました。
けれど、FMで作詞者のきたやまおさむさんのお話を聴いて考えが変わりました。
これは、学生運動シンパの曲でもなければ、戦争のリアルを知らないことが偉いという歌でもないのです。
うーさんも書いていますけど、いつ核のボタンが押されるかもしれない世界状況で、あちこちで戦争がどうしようもないくらいあちこちで起きていて、身近なところでも戦時中の世代が戦時中さながらのやり方で人権に反したことを言ったりやったりしている。そんな中、
「これ以上は戦争をするな、世界中の子どもたちみんなが“戦争を知らない子どもたち”になればいい」
、と書いた曲なのだそうです。
そして、「子供たち」こそ、これから戦争のない新しい時代を創っていくことができる存在なのだ、と。
(つづく)
2010/6/15(火) 午後 11:12 [ けーた ]
(つづいた)
当然、誤解もされたそうですし、様々な誹謗中傷も受けたそうです。
それこそ、この日本で生きていくことが難しくなるくらい。
だけど、作詞者のきたやまおさむさんも、歌い手の杉田二郎さんも、この曲に寄せる思いは今も変わらないと言っていました。
また、戦争がずっと続いてきてやっと平和になった国の人がこの曲を聴いて、
「ああ、これは僕たちの歌だ!」
と作詞者のきたやまさんに伝えたそうです。
そのとき、これまで本当にくじけそうになるくらいの曲折があったけど、この曲を書いたことは無意味ではなかったのだなと感じたそうです。
ちなみに、作詞者のきたやまおさむさんは、精神科医との二足のわらじです。
最近でこそ、多少社会の差別も減ってきましたが、40年前の精神科に対する偏見はひどいものでした。
そして、現場はまさに「戦場」でした。
その現場に留まって戦い続けてきた人が書いた言葉ですから、よーかいは信頼しています☆(*´▽`*)
2010/6/15(火) 午後 11:12 [ けーた ]
>>よーかい先生
ドンパチに関する戦争で見れば、先生のいう通りでしょ
ただね、平和な世界でも、ごく日常生活の戦争は?
今日食べ、明日起きる。ごく当たり前を得る戦いは?
自由になるため戦ったのに報われず他人にとり殺される人生が待っていたら?
それを考えたら、飽食わんさかいる日本を考えたら
恵まれた環境を活かせているかの青いチームを考えたら
先の世代は、ちゃんと普通の有難さを教え伝えてきたのだろうかと…
こんにちは、マテさん!
「戦争を知らないコドモたち」は自分には懐かしいです。
この歌は当時の長髪族が学校に行きたくないとかそんなあっさりした歌ではなかった気が…。
自分は36年生まれなんで、まだ子供の頃は近所の子供達と軍歌を歌いながら戦争ごっこや行軍将棋遊びなど、アニメでも「ゼロ戦隼人」とか戦争色とか空気が少し残り実際の焼け跡もまだ身近に残ってた時代でした。キューバ戦争で米ソが実際に世界の破滅をかけて核ミサイルを押しそうになったり、冷戦しながら米ソが世界に影響力という名の領土拡張狙ってた時代で、常にどこかで戦争が起こってる、いつ世界が数千発の核ミサイルで滅亡するのかと、悲観的な時代でした。日本の横須賀や沖縄からベトナムへ今日も爆撃機が飛ぶ。そんな時代と空気だったからこそ反戦の空気も強かった、これ以上は戦争をするなと、そんな意味の歌であったと、
>甘ちゃん育ちの開き直りみたい
という感覚とは別のイメージで捉えていたと、自分の記憶ではそう覚えています。
40年代後半以降になるとなぜか急にそんな空気は消えるのですが…。
2010/6/15(火) 午前 11:04 [ weed_ah ]