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運命の最終列車から明暗を分ける、人間力の見せ所

mathichen17

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アタクシの友人がこう言ったことあります
「現代ネット社会で成立しないもの、それは『アンネの日記』
ドイツ人の執念深さを思い起こせ
IPアドレス他から必ずや隠れ家を特定、潜伏期間は2年も続かないぞ」













上は、平穏無事な頃のフランク一家
中は、潜伏生活支援したヒース夫妻と戦後誕生の息子、それを見つめる唯一人の生還者オットー・フランク
下は、『後ろの家』はさんで、ミープ回想録と、戦後世代作家による1998年発表の評伝



 
隠れ家のアンネたちには知り得なかった外界での諸々や、客観的視点が書かれている、回想録と評伝
評伝は、それまで知られていなかった、母親エーディトと彼女の生まれ育ったホーレンダー家についても
ホーレンダー家で難を逃れた、エーディトの兄たち(ユリウスとヴァルター)、戦後は悲惨でしたね
早くに米国へ亡命、後に帰化したものの、妹と姪たちの最期に打ちのめされてしまいました
どちらも生涯独身で心身ボロボロのまま、ひっそり世を去っています
スイス・バーゼルに移住していたアリーセ・シュテルン=フランク(オットーの母親)も
嫁と孫娘たちを失った打撃は亡くなるまで引きずっていたようです



 
評伝にはミープ・ヒースによるあとがきが寄せられています
彼女は戦後半世紀以上の間、世界中からいろいろな質問を受けました
その中で見えてきたもの、『因果応報』的持ち主の多さ
子供が親からよく言われる、「いい子でお利口さんにしていれば、幸せになれるよ」
裏を返せば、「ある人が困難な状況に陥るのは、その人の行いが悪いせいであり、助ける必要ない」
アタクシ個人的に、必ずしも間違いではないものの
それは『原因』がハッキリ見え、明らかに本人の不徳の致すところ、反省の色なしの場合などです
罪もないのに困難や危機に陥っているのを助けない愚かさを説くミープには同感します



 
ミープ・ヒースは、生来のオランダ人でなく、ウィーン生まれの本名ヘルミーネ・ザントロウシッツ
第一次世界大戦後、≪飢餓と病気に苦しむ子供たちへの救済活動≫の対象として、オランダに送られた
深刻な栄養失調からガリガリ、おまけに結核。両親も娘を救う必要に迫られての決断であった
ヘルミーネは後年理解しましたが、11歳の時はショックそのものだったそうです
お母さんはいつも、おまえはいい子、賢くて可愛い子だと言ってた
なのに、病気で、ひとりぼっちで…こんなひどい目に遭わなければいけない、どんな悪いことをしたというの?
…この時の体験から、罪なくして危急存亡あり得るを知り、やがて『後ろの家』支援につながったのです



 
と同時に、ミープは人々の無関心が、ユダヤ人大量殺戮を増長させたと見ています
ホロコーストの内容を知り、身震いし、「こんなことが、何故?」と問いかける人々に会うたび…
実際に殺戮をおこなったのは、ナチ政権
しかしながら、世界中の『普通の人々』がユダヤ人の運命に無関心な態度を取らなければ、あれほどには?
…そう問いかけたい(問いかけた?)と




『米学生に禁錮30日』(2012年5月22日AFPBB News)




語りたい情熱や内容持たないのにつぶやきもどき実況中継するような
物心つく頃にはネットが当たり前の顔して存在した世代には理解不能でしょう
性癖(同性愛)は本人が悩み変わりたいと思わない限り、異常ではないも
紙とペンで書く作業の困難と喜び、孤独と孤高からの結実も




(追記)


2010年10月2日独話別館記事の本館版です

アンネの最後の日記は、1944年8月1日付
8月4日朝、プリンセンフラハト263番地での逮捕劇
8月8日午後遅くにオランダ北東のヴェステルボルク通過収容所へ
9月3日、ポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ

ヴェステルボルク収容所の最後の移送列車に乗せられることとなったんですよ

7月15日の日記が印象的ですね
「自分でも不思議なのは私がいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。
だって、どれもあまりに現実離れしすぎていて到底実現しそうもない理想ですから。
にもかかわらず私はそれを待ち続けています。
なぜなら今でも信じているからです。
たとえ嫌なことばかりだとしても人間の本性はやっぱり善なのだと。」

2012/8/9(木) 午後 4:17 mathichen


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