浮世において不変なる愛の力が、残された幸福
mathichenさん名物である悪態記事前の準備体操として備忘録よ
わかんなけりゃ、サッサと通り過ぎ、嫁が恵んでくれる晩飯頂きますに限る
昼下がりに、コルンゴルト作曲♪死の都を思い出した
1983年映像収録、ゲッツ・フリードリヒ演出ハインリヒ・ホルライザー指揮ベルリン・ドイツ・オペラ盤
レーザーディスクを汚部屋内検索したが、やっぱ処分していた
仕方ないので、YouTube検索したら
Part 15までと長丁場だ、今度観よっと
その代わり
25 Years Deutsche Oper Berlin
24 September 1986
24 September 1986
歌劇場創立25周年記念映像は他にいくつかあるけど、♪死の都も再演されてたのか
主役のパウル歌う歌手、ジェームス・キングから、ジークフリート・イェルザレルムへ交替
いずれにしたって、オンナに振り回されるオトコの風情がよ~く伝わる、情けない顔立ちではある
キングって、長嶋のチョーさんに似てると思いませんかね~
マリエッタの唄 Glück das mir verblieb
粗筋から分かるように、問題の「死の都」とはブリュージュのことなのだが、オペラの中ではパウルの亡き妻マリーと同一視されている。
第1幕の始めで友人フランクはパウルから、街中でマリーを見かけた(あるいは彼女の生き写しを目にした)ので、彼女を自分の屋敷に招待したという只ならぬ報せを打ち明けられる。その女性が到着すると、パウルは彼女のことをマリーと呼びかけて、彼女に訂正される。彼女はリール出身の踊り子マリエッタなのだった。マリエッタはパウルの望みに応えて1曲歌い始める(これが「マリエッタの唄」ことアリア「私に残された幸せ」にほかならない)。するとパウルは魔法にかかったようになってしまう。
歌詞は、恋の喜びを物語っているが、一抹の哀しみも感じさせる。というのも、この歌は生の果敢無さが主題でもあるからである。浮世において変わることのない愛の力を賛美する節において、マリエッタとパウルの声が結び付く。
独唱曲としては、スピント=リリコのソプラノ歌手のレパートリーとして歌われることが多い。
( Wikipedia:『死の都』より引用 )
「独唱曲としては、スピント=リリコのソプラノ歌手のレパートリーとして歌われることが多い。」
だったら、この御方が、ドンピシャリでしょ
米国の生んだ偉大なる歌姫、レオンティーン・プライス
イタリア物、ヴェルディやプッチーニの諸役が、日本では有名かしらん
実をいえば、キリル文字で難解なロシア語で歌えるのよ
人種と現役時代を考えれば、タチヤーナはさすがに、舞台では歌ってないと思う
ドイツ物は、舞台ではどうだったっけ?録音は、オペラ(部分的でも)と歌曲の両方、意外と多くある
R・シュトラウスの諸役、泣けるわ~
黒人特有の粘っこい声質ながら、透明感と清冽さを持ち、R・シュトラウスの官能的な音楽と合うのさ
いま現在残されている録音で評価されたら、それだけでも十分とは思いつつ
いま現在残されている録音で評価されたら、それだけでも十分とは思いつつ
現代に活躍していれば、舞台においても、ドイツオペラ歌手として最高峰に近い評価を得られたとも
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おお、すっかり見過ごしておりました。さすが、mathichenさんですな。今年の初めにこのような記事をアップされていたのですね。
「死の都」は、生身の男女の愛というよりは、愛と死について語るドラマという印象でした。
マリエッタのアリアは、ベッドの上に乗って歌うという演出でした。
しかし、歌い手には大変な作品ですね~
2014/4/2(水) 午後 9:37