Not Without Other.(他者の存在と自己の存在は二個一)
麻薬キメて「Love&Peace~」みたいな腐れヒッピー風貌から一転、双子はある意味ゴーストねのおすぎさんへ
希代の極悪人扱いのクソミソ評もあれば、ゴーストが書いた陰謀劇との邪推の他に
ご本尊は本質的に、アタクシの表現に置き換えると
「接する人によって、アブナイ面が見えて身の危険かもしれないが
不遇や逆境にある人々を騙す目的でなく
『悪人ではなく、お気の毒なオッサン』との声が聞かれた
「CD買った人は皆、音楽に感動したからでしょ」、『付加価値』に感動したからでしょ
作曲家のプロフィール何も知らない状態で聴き、果たして同様の感動覚えたか、それこそ怪しいもんだ
東京五輪招致のお涙頂戴偽善プレゼンに感動するのを見な、浪花節に弱く情に流される国民性知れるじゃん
財布の紐ユルくする物語を作り上げて感動の押し売りを見抜けん、弱者に優しい自分を褒めちゃう国民性もね
つうか、詐欺だカネ返せとわめく面々を見たら、「ホラ言ってるでしょ、目に見えるものだけを信用する愚かさを」
改めて、世俗の、感性という意味での視覚障害ぶりに呆れたわ
ウチの元料理番ババァといい勝負だね
昔々、裏の家のド下手糞なピアノについて
「演奏出来ないのに、下手がどうしてわかるねん?」というなら
技術的な指摘は苦手ながら、音楽の感性の有無だよ、アタシとアンタにおける天国と地獄の差はな
車輪の一歩脊髄損傷による身体障害者(車椅子)の女性は母親の監視の元、自由に外に出ることが出来ない。そこに同じく身体障害者(車椅子)の男性6人が女性に対して「外に出ようじゃないか」と誘いかける。女性はためらいつつも、一緒に外に出るが線路で車椅子がはまってしまい抜け出せなくなる。遮断機が降り、すんでのところで女性は健常者に救出されるが、帰宅途中に失禁してしまう(脊髄損傷による尿失禁)。主人公がお詫びがてら、母親に謝るが母親はそっとしておいてください、とつっぱねる。女性は「母に逆らいたくないわ」と言うが主人公は「君はそれでいいの?」と問いかける。ある朝ついに女性は皆の見守る中、駅に行き「誰か私を(階段の上まで)上げてください」と助けを求める。( Wikipedia:『男たちの旅路』より引用 )
斎藤とも子が可愛かったね~と述懐しといて
「母に逆らいたくないわ」「君はそれでいいの?」、この場面だったと思うけど、鶴田浩二が諭すのよ
「迷惑かけても、いいんだよ」(人手借りる必要あるなら、借りなさい)
迷惑と感じるのは、助けてもらって(助けるのが)当然の意識であって
駅の場面、最初は小声で怖々、徐々に声を大きくして、「誰か私を(階段の上まで)上げてください」
周囲の配慮を待っているのでなく、自発的に丁重にお願いするなら
あのさ、障害者ってね、真に自立心持っていれば
足りない部分の補助求めたりはするが、腫れ物に触るような、あるいはペット扱いは良しとしないもんよ
障害者とトシヨリと子供は優しくされて当たり前と考える
怪しく思っても、「わ~、性格悪い人ね~」と逆に悪者にされる
『付加価値』そのものは否定しない
それだけで売っているのか、音楽なら音楽の質で勝負した上でのものか
篩にかけ質を問えるだけの鑑識眼が、消費者に求められるのよ
自分を救世主と信じ込む、あるいは、無能な自分に癒しを求める
人々の注目を集め、自分をスゴイ人間と信じたいだけのね
http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20140309-00033355/
街を歩いている時、「がんばろう!ニッポン!」の類の看板見ると、高見の位置視線に見えるとのこと
まだ25歳の小僧なのに、よくわかってるじゃん
「夢は必ず叶います」の言葉が問いかけるもの
夢が叶うことについて考えると、例えば勝利、合格、出産、長寿、退院、新築、当選などが思い浮かびます。夢が叶ったその後に、お祝いすることが起きます。
人と競争して勝つことにより夢を叶えたのであれば、その裏には必ずと言っていいほど競争に負けた人がいるはずです。この場合、他人の悲しみを踏み台として夢を叶えたことになります。世間の常識に従って祝うのであれば、それは他人の悲しみによって成り立つお祝いだと言えましょう。
世間には、夢を抱いても、そのための努力が出来ない多くの人が居ることと思います。その人達からも共感を覚えるようなお祝いの意味を問うならば、努力が出来たことに対する感謝、あるいは努力をしてきたことに対するご褒美として、お祝いしていくという考えが思いつきます。
今問われていることは、夢に向かって努力している時の謙虚な姿勢ではなく、夢が叶った後に(無意識に)現れてしまう傲慢な態度だと言えるかもしれません。その傲慢さが因となって「夢は必ず叶います」という言葉が発せられるのでしょう。
この言葉は、聞いている人に不快な印象を与える可能性があることを、改めて肝に命じておきたいものであります。
日本語についてなのですが。。 不平等と不公平の違いって何ですか??
ベストアンサーに選ばれた回答
平等と公平、同じように使われていることが多いです。
違いを持たせて使う場合は、大体以下のようになります。
平等:
その人の境遇に応じて、同じにすること。
例)
1Lのジュースを大人と子供で平等に分けるとき、大人は700cc、子供は300ccとする。
よく働いた人には、能力給を与える。
公平:
その人の境遇など無視して、同じにすること。
例)
1Lのジュースを公平に分けるとき、大人も子供も500ccずつとなる。
誰も彼も給料は同じ。
不平等・不公平はその反対ということになりますね。
現代ニッポン人が民主主義を履き違えている理由がわかるでしょ
公平の意味で捉えているのよね
虚しさ抱えて残りの人生を過ごさざるを得ない悔しさ
夢を抱いて、そのための努力が出来る身体や環境に恵まれた者には、決して理解出来ないから
持てる者の傲慢は本当、不愉快で、心底から軽蔑する
>>ふうちゃんP4さん
早いうちから違和感、胡散臭さを覚えていた人は多いようですよ
ゴースト自体はいろいろな分野に見られ、必ずしも悪と思わないものの
佐村河内何某の場合、何が目的だったのか?
ヤバイと感じていたとしても、引くに引けぬほど、祭り上げられていたというか…
明らかに無謀な夢でなく、各々に応じた挑戦機会が与えられ、納得行くだけ頑張れたら
必ず叶わなくたって、悔いは残りません
昔、専門学校CMに、「なりたいものより、なれるもの」というのがありましたが
夢実現に挑む機会があるのに、現実重視を言いながら、実は失敗を恐れているとすれば
「夢は必ず叶う」組と合わせ、これはこれで嫌なタイプと思います
なお、アタクシはいまだ(今後も)
世界一デカイ墓場都市と永遠にオサラバする夢を諦めておりませ~ん
>>ぱぱりんさん
商魂たくましく、儲けにならんと見たらポイ捨てするマスコミを淘汰すべきなのに
冷静な情報取捨選択眼と推移を見守る目を持たないと
詐欺だカネ返せとわめく面々も、マスコミと同じ穴のムジナでしょうね
The road to hell is paved with good intentions.
「地獄への道は多くの善意で舗装されている」と申します。
人間誰しも凡人で、犯罪はさておき、人の事をとやかく言えるほどではないですよね。「正しい自分」の思い込みと、それへの過剰な同調要求ほど危ういものはありません。自分の善意が地獄へまっしぐらに通じているかもしれない、○○もほどほどに、と言いたくなることが山ほど出てきますので、あまりTVも見なくなってしまいます。自己学習と言う美風が、なくなりつつあるのでしょうか。
2014/3/12(水) 午後 7:14 [ grunerwald ]
>>grunerwaldさん
「『正しい自分』の思い込みと、それへの過剰な同調要求」といえば
ここに、佐村河内何某の本質が見られると思います
様々な情報と憶測が飛び交い、本人は逆ギレ状態で、真実は結局うやむやになりそうですが
彼は恐らく、いわゆる『病んでいる』
悪人というより、一種の障害者には変わりない気がするんですよ
【自己覚醒の問題】
http://mathichen.at.webry.info/201403/article_5.html
善意だけでなく、悪意も、当人が無意識でやっている場合
相手、そして自分にも、どんな結果もたらすか読めないからかと
震災関連では、記憶を風化させるなは、外野の意見であり
被災地には、語り継ぐ意義は理解した上で、平穏無事な日常生活を求める人たちがおり
必要以上に記憶を蘇らせるべきでないという声が聞かれます
外野が真に、「がんばろう!ニッポン!」を願い、被災地を支援したいなら
福島産の○○を買うとか、日常生活内が一番でしょうね
ワタクシ、運悪くNHKで放送していた例の佐村河内なる御仁を持ち上げるドキュメンタリー番組を、ちらっと見てしまったのです。
その時の違和感・・・しかも番組で流される彼が作曲したという、東日本大震災の被災者の少女に捧げた曲とかいうのが・・・安っぽい演歌をオーケストラ仕立てにしたみたいな曲で、辟易しました。
それでも善意やら感動やらがぎっしりつまったものらしいので、くさすのは控えましたが。
今にして思えば、彼はいったい何をしたかかったものやら。
それはともかく「夢は必ず叶う」、これはウソですね。
現実と向き合って、できることをできる範囲でする、それが大人の生き方でしょう。
2014/3/11(火) 午後 9:30