Zigeunerleben(流浪の民)
業務スーパー他への買い出しから戻り、一息ついた午後5時半頃
ガラケーに留守電入ってるのに気づいた
49歳で娘は5歳手前のY子ちゃんからだった
その結果
当記事にTBした【An Die Musik (音楽に寄せて)】(2011年5月18日)
それから4年2ヶ月後、《WALTYクラシカル》はこの度、完全閉店致しました
中岡さんがさ、ガラに似合わず、病気になっちまったのよ
相方のK嬢一人じゃ営業無理ってんで、5月13日、一時閉店した
そこまでは、5月下旬にY子ちゃんがくれた電話により知っていた
具体的な内容はY子ちゃんも知らず、mathichenさんが何か知ってるかと思ったそうな
「おっさん、どっか悪いんじゃねーか?」、最後に見た時ピンと来たものの、まさか本当に罹患とは…
弟分の韓国系坊主に連絡取ったら、向こうも寝耳に水であり、探り入れてみると言った
坊主は17日金曜日、たまたま店の前を通り、事情飲み込めたという
つまり、中岡さんの病状と閉店関連は、隠しちゃいないが広くに知らされてもいないのね
おい坊主、H田さん、二人おるうちの太い方、あのおっさんが中岡さんとのパイプ役やぞ
周囲は出来るだけ静観、それが中岡さんへの思い遣りやねん
中岡さんの気が向いたらでエエからと、アタシの携帯の電話番号とメルアドをH田さんに渡しといたわ
中岡さんは現在、病院から釈放され、シャバ暮らしの模様(詳細は不明)
ただ加療続行中であり、WALTY営業再開は困難と判断、完全閉店へ
閉店セールを今月10日から18日まで、店長抜きで催した
忙しい時でもKYなまでに居座る常連のおっさん集団が、K嬢を助けたおかげ様だった
H田さん、Yさん、OH!さん、M先生、他は名前忘れた
午後7時半までの営業ながら、最終日には、8時頃までハイエナの如き買い漁り客が居座るも
一人で最後の片付けするK嬢を残し、9時頃まで居座ったのは、《ワルツ堂 堂島店》常連客と濃い面々ばかり~
H田さんなんて、↑画像真ん中に映る、店前に置いてあった看板を、アタシに「持って帰れ~」
さすがのアタシでさえ、電車の中で恥ずかしかったわッ
それともナニかい、アタシが看板娘だった?記念に、店の看板を??なら、赦すとすっか???
団塊世代のH田さんは、ワルツ堂系通いが中坊以来という50年選手
40年選手、30年選手、そんなんはザラにいる
1989年に初めて入店したmathichenさんも気づけば、四半世紀が経っていた
2002年、ワルツ堂が倒産
2004年、《Walty堂島》として新規開店
2010年、Waltyが一時閉店
2011年、中古専門店《WALTYクラシカル》として新規開店
そして、2015年のWALTY閉店
全部、見届けてしもた
【19回目の秋止符】(2013年9月2日)
mathichenさんの場合、M先生もか、中岡さんの鮎釣り師匠、1994年の《テレーゼ》閉店も経験しちまった
昔ながらの対面販売、店員と客がシャベリながら寛げる空間って、ネット通販時代には希少価値持つ
中岡さんが隠居なんかしてみい、性格上たちまちボケ老人と化す濃厚で、美人の奥さん大変やで~
真面目な話、中岡さんが可能ならば、レコード屋再開するのが世のため人のためよ
OH!さんと、「中岡さんが好転したら、店云々抜きに、皆でワーッと宴会くらいしたいわな」
現状、再開の見込み無いとあっては、いまの気分を例えると…
「慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり 何処往くか流浪の民」
http://www.worldfolksong.com/classical/schumann/zigeunerleben.html
原詩との乖離が大きいけれど、寄る辺無い孤独感を満喫中
YouTube?
【流転輪廻の響き】(2010年10月8日アメブロ別荘)
この記事中より二者択一しておくんなさいまし
…二つ目の動画、帰りたくても帰れないがわかってる現代に聴くと、ゾッとするわ…
ん。
そこにはね。
レコード針売ってたんよ。
これから、どこへ行こうかな、、?
また、その界隈に行く楽しみの一つでもあったんやがね。、、
言ったように それほど 貢献してないけど
2015/7/20(月) 午後 9:17[ 忘れ ]
>>bald manさん
ある程度、自分でオーディオ一式揃えられる水準客多かったので(アタシも、その一人)
ワルツ堂全体でレコード針置いてたかは不明なれど
わからない事を質問に行ける環境としてもサイコーでした
「ココは、出来る」店ってね、貢献には拘り持たないですよ
信頼置いて通ってくれるが一番がわかってますからね
…小石先生なんて、中岡さんの注文ミスも気にしなかったし~
http://blogs.yahoo.co.jp/borussiamagdala/29762193.html
ま、いざとなれば、有志による新規開店も一つの手段ではあるかと~
坊主でおます。
今回も何の役にも立てず申し訳ありませんでした。
久しぶりの書き込みがこんな話なのはとても残念です。
17日の金曜日は時間があったとしても、数々の常連の皆様の中へ
入って行く勇気は無かったと思います。
中岡さんにお世話になった者の端くれとしては辛いところですが、
まずはご本人の快復され、遠い未来でも良いのでお店の再開を望む
ところであります。
でないと、本当に「難民ども」の行き先が無いのですから・・・。
2015/7/24(金) 午後 7:38[ pas*da*ti*n ]
>>坊主
病気の件を知っていても短期間にバタバタじゃ、周囲は何も出来んのが普通やで
中岡さん個人に近いH田さん辺りが動き回って処理するのが最善でしょ
というのも…
店の前を通りすがりに、ちょっと様子聞く程度ならば、「カクカクシカジカで…」と教えるけど
「店舗後片付けお手伝いしますよ」、この手が、「ジャマや、帰れ」やん
する事わんさかであったって、大抵、想い出話をぺチャクチャ話したがり、足手纒いウザイ
…常連客にもピンキリ見られるいうこっちゃ
感傷的なタイプが、中岡さんおる時来たらシンドイ
とにかく静かにしといてくれるのが有難いタイプがいてるからね
下へ続く
上から続いた
「貧乏くさいジジイって何も知らない奴だな
あの爺さんたちは、大病院の院長、部長クラスや開業医などの医者が圧倒的に多い
その金持ちが新譜などの注文を中岡さんに頼んでいたな
オーディオも頼んでたみたいで、店の中古以外に収入かなりあったと思うよ
若い女の客はミュージシャンだろ。よく来てたよ。CDで見た顔もいたよ」
巨大掲示板から借りて来たけど、的確やわな
モーツァルトの時代の音楽家が王侯貴族に雇われてナンボのように
レコード文化も、富裕層の道楽になって支えられる面大きい
「レコード文化も5年後や10年後には、高齢化社会進み過ぎて滅亡する」
そんな事を、中岡さんも前々から言うてるけど
ワルツ堂から続く文化が終焉を迎えるのは、音楽文化全体の危機ちゃうかい
かつて新人類と呼ばれた世代が、いまや中年を迎えて旧人類と化した
人の世の定め繰り返しが、いまの若い衆にも必ずや襲いかかる
「古臭~」言うてたら、自分らの文化もエライ目を見るんやから
いまの爺さん連中が伝統を後世へ遺すためにも
昔ながらの、店員と客がシャベリながら寛げる空間が必要やわ
初めまして。 拝見させて頂きました。 私は20年程前、ワルツ堂堂島店の閉店までアルバイトをさせて頂いておりました。
大変恐縮で突然ではありますが、中岡さんが製造された手作りのアンプを御持ちの方を探しております。
ワルツ堂時代から中岡さんと親しいお客様にだけ、中岡さんが全て手作りで製作されておられました。
ワルツ堂時代の上司の方々にも連絡もさせて頂いて、探す伝手をお願いをさせて頂いている状況なのですが、
中岡さんを慕っておられたお客様方々でしたら、どなたかに繋がれると確信しながら連絡させて頂きました。何卒宜しくお願い致します。
畑中
2017/1/21(土) 午前 5:55[ osakahisanori ]
>>osakahisanoriさん
最近記憶ゴチャゴチャ気味ながら、90年代から閉店までのバイトは大体覚えてます
当方はほとんど変わってないから、今日の記事見たらおわかりのはずです
東京まで出かける折、秋葉原で中岡アンプに要るパーツ購入を頼まれた事あり
どういうお客さんたちがアンプ作って貰ってたかもわかりますけど
その人たちと直接、連絡先交わしたとかは無いんですよ
アンプ製作はあくまで内職でした
中岡さんの元上司や元同僚でも細かく把握してなかったのでは?
個人経営のワルティの方で一緒に仕事してた小西さんならわかるかも
お客さんでは、ハマダさん辺りか?
ただ、その二人の連絡先はわからないです
閉店から1年半、中岡さん亡くなってから1年
皆バラバラになってしまい、探すのはかなり難しいと思いますよ
ん~~、、、
こちらでも、そういうとこ、
閉店した。
もっとも、ワイはそれほどには、貢献してないが。
2015/7/19(日) 午前 6:29[ 忘れ ]