来世に於ける再会の明暗は、今生に於ける繋がりが分ける~また逢う日まで~
自分「連絡を円滑化にするためにスマホを持ってほしい」
父親「通話だけで十分だろう?」
自分「通話だけでなくLINEでの連絡を取り合いたい。そのほうが効率良いだろう?」
父親「文字だけの連絡は非常に馬鹿げている!」
自分「通話できない状況があるだろう!最低限のマナーを守るために必要なんだよ!」
父親「通話だけで十分だ!マナーなんて破ってしまえば良い!スマホなんて無くなってしまえば良いんだ!みんな俺のことを馬鹿にしやがって!」
自分が自分の価値観で決めつけて相手を無知な原始人みたいな扱いをして言うことをきくと思いますか。
相手が考えていることを理解しようという努力がありますか。
私はスマホは持っていますがLINEは絶対にやりません。
これは思想です。
相手の都合も考えずに勝手にメッセージを垂れ流し、それを読んだ読まないでごたごた文句をいい、反応が遅いことをぐだぐだ言われるような媒体には参加したくないからです。こちらはこちらの用事がありこちらの生き方で動いているのにそれにわりこむ権利なんか誰もないだろうと考えるからです。
スマホを持っていると、LINEIDを教えろとかツイッターのタグはなんだとか、暴力団仲間の会話みたいなのをしてくるやつがいますけど、LINEはやらない、これは宗教上のことだと言い捨てます。ツイッターとかFacebookは、教えなければ教えないで片付きますけど、LINEはあきらめないバカが多い。だからやらないと宣言しないといけない。
あと、LINEなんかやっていたら、年よりは頭がボケると思います。
画面をぼーっとみていて、ずら、ずら、と表示されるものをとりとめもなく眺めているなら、他にやることをせねばとも思わず画面に見とれるだけになります。
仲間の年よりが全部スマホをもちLINEをしなければだめだなんて言う全体主義にとらわれるなら、そこにはボケ老人の部落ができるだけだと思います。いまでもガラケーにこだわる人間がいるのは、コミュニケーションが何であるかを把握してるからです。
必要なことがあるならそこで電話をかけるのが一番確実です。メールだとかLINEだとかいったらそれを読むかどうかの確信ができません。スマホを持っていたって、通話するのが最善なんです。相手が出たか出ないか、そこで相手が生きていることがわかります。LINEをみてないなメールを読んだかななんて考えているうちに相手は死後硬直してるかもしれないのです。
あなたの、スマホが第一でそれ以外はどうだという差別感が問題です。
仕事中の父親に通話で連絡すると迷惑だという感覚があるなら、LINEでも当然思いっ切り迷惑だという理解が必要です。通話できないようなときにLINEを発する非礼が許されますか。
ちょっと遅れてもかまわないならSMSでかまわないわけです。
そもそも緊急だったら通話以外の選択肢はないでしょう。投稿日時 - 2018-12-16 15:17:22
一つのアイデアとして、ガラホがあります。
形はガラケーですが、SPモードでスマホと同じです。
LINEもできるようですので、確認されて下さい。
https://bitwave.showcase-tv.com/docomo-garaho-use-line-model/
今のものがバッテリーが持たないという理由でこれに変え、LINEを
設定し、何かを送って「こんな機能もあるよ」と説明すれば、
良いかもしれません。
もちろん、先に電話を掛けて通話を確認してからの話ですが・・・
また逢う日まで (1950年・東宝)
昭和十八年。日本に住むすべての人々は、狂気に似た戦争のるつぼの中へ巻き込まれた。三郎と螢子が、はじめて逢ったのは空襲警報の鳴り渡る街の地下鉄のホームであった。もみ合う人、人、その中で押し倒された若い二人の指がふとふれあった。盲目にされている戦争の最中で、人間としての青春の、愛情の喜びを得たいと願う、それは美しい心のふれ合いだった。燃え上がる愛情は日に増した。だが、時は一刻の猶予もなく、戦争の遂行のために進んでいた。三郎は母のない冷厳な法務官の息子である。兄二郎は、かつて夢多い青年であった。だが今は陸軍中尉の軍服がぴったりと身についた青年将校で、三郎にとっては悲しい存在であった。長兄の一郎は戦争で死に、その妻の正子は、三郎の家ではあわれな奴隷であった。父も兄二郎もそれはあたり前だと思っていた。この家庭、この雰囲気、三郎はたまらなかった。それに反して、螢子の家庭は、母と二人、螢子の先生のアトリエに留守番として住んでおり、螢子は小さな画家の卵として、貧しい生活のために、似顔を画いていたし、母は工場に勤め、この母と子はあふれるほどの愛情に満ちていた。三郎は明るい螢子と逢っているときだけが、幸福を身に感じるときだった。だが二人は、目に見えない戦の大きな黒い手の中で、やはり身動きできない二人だったのだ。三郎の友人は次々と召集された。二人は追われる様な日々を過ごした。そしてついに三郎に赤紙が来た。あと二日、螢子の描いたつたない三郎の肖像画が、ただ一つの思い出として残る運命の日がくる。最後に逢う日、三郎の姉正子は防空訓練で倒れ、亡き一郎の子を流産した。三郎は螢子との約束の場所へ行けなかった。その頃その場所、爆弾によってふきとばされ、螢子の若い命はあっという間に散ってしまった。三郎の征く日は更に一日早まった。螢子の見送りもなく、征く三郎、人間としての限りない平和と希望を求めた三郎は、軍用列車で運ばれる。--昭和二十年。今は亡き三郎の肖像画は黒い布でつつまれて、戦いの終わりは告げられていた。
( https://movie.walkerplus.com/mv26898/ )
離れ離れとなる独逸妻に宛てた手紙より
顔に合う男前ぶり、メッチャ泣けるわ
もっと泣けるのは、奥さんの旦那Loveぶりか
法の壁が立ちはだかり、事実婚であった
離れ離れとなったまま、永遠の別れを迎えた後に、友人の助力で正式な夫婦となり
その後何十年も幽霊と暮らし、添い遂げた貞女の鑑なのよ
どうあれ、LINEで用事済ませる現代ニッポン男女とは雲泥の差でしょ
今夜にでも離れ離れになる可能性いくらでもあるのに
SNSで繋がってりゃ、自分が真知子巻きの「君の名は~」にゃならないと信じられるのが信じられずキモイ
1950年邦画‘また逢う日まで’みたいに、お互い相手が死んだ事知らずに死んだ展開に追い込みたくなる
独逸の騎士が誰か、説明要る?
1ヶ月会えなくても、「付き合っている」と考える男女
昔は相手の家に電話をかけて、誰が電話口に出るか?家族ではなく本人が出て欲しい!とドキドキしたものですが、携帯電話の普及によって本人に直接電話ができる時代になったのでドキドキすることがありませんよね。それに、待ち合わせに遅れることもすぐに連絡がつく…便利というか、情緒がないというか、そんな時代になってますよね。
2018/12/29(土) 午後 10:37 [ ミー ]
仕事でも知人でも、連絡は今はほとんどラインだね~
でも親にはいまだに手書きでファックス送っています( ´艸`)
2018/12/29(土) 午後 9:05